白雪リンの読書感想文(カミュ「異邦人」その4)

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マジマジョ 白雪リン(演:隅谷百花(現おはガール))の偽物


終盤の考察をするにあたって、もはや究極のネタバレを避けて通ることができません。
それは、主人公「ムルソー」の処刑です。実際に処刑される描写はないのですが、裁判で決まった以上は、魔法でも使わない限り大きなどんでん返しはないでしょう。

そしてラストの彼の言葉が私にとって非常に難解でした。
なぜなら、言わば誤解によって死刑・処刑に発展してしまったこの期に及んで、彼が『自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。すべてが終わって、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。』と考えていたからです。

まず、自分が死刑になってしまうこの状況を、幸せと捉えることのできる人間がいるでしょうか。
さらに、自分がこの上なく無惨な姿を晒すであろう状況を多くの人々に観てもらいたい、しかも憎悪の叫びを浴びたいなど、理解できる訳がありません。

しかしある日、「愛の反対は憎しみではなく無関心です」という、以前聞いたことのある言葉が降りてきました。
ちなみにこの言葉は、かの有名なマザー・テレサのものだということが、調べてみて改めてわかりました。

この言葉は、難解なラストの彼の心を理解する大きな助けとなりました(あくまで自己流ですが)。
「孤独=無関心」、「愛≒憎悪」という関係性、愛情の反対が無関心である以上、多くの人に憎悪されている自分は、孤独を感じることなく人々に愛され幸せに死んでいけるという彼なりの解釈なのかと思いました。もしくはそこまで言えなくても、人々に無関心でいられるよりは憎悪でも自分に関心があった方がまだマシである、ということかもしれません。

上のような考えに立脚すると、他のエピソードに対して重要性に劣ると感じていた、サラマノ老人が飼い犬である老犬を探すエピソードは、違った意味合いを持っていたことに気付かされます。

日常的に老犬を「畜生、死に損い奴!」と罵倒し、老犬が部屋の中で小便でもしようものなら(鞭か何かで?)打っていた老人でしたが、いざその老犬がいなくなってしまうと必死で探し、ムルソーにも助けを求めます。
傍から見たら憎悪に満ちた老人と老犬との関係でしたが、それは実は愛情の裏返しだったことが判明するのです。実際、老人は皮膚病になった老犬に毎朝毎晩軟膏を塗ってやっており、今でもこうして狼狽しながら老犬を探しているのです。

ただここでも相変わらずの彼は、老犬が野犬として処分されないか気が気でない老人を前にしても、犬の話に厭きてしまったとあくびをする始末です。
このエピソードは、ただ単に彼の不条理さを際立たせるエピソードの追加というよりは、愛情と憎しみの関係性をわかりやすく示し、それをラストのムルソーの難解な言葉に繋げるための伏線と考えると、このエピソードをわざわざ構成したことがしっくりきます。

以上、これまで4回に渡って紹介してきましたが、完全に独断と偏見で書いていますので、多分に読み誤っている箇所があるかと思います。その際には色々とご指摘いただければ幸いです。

また、この作品を最初に読んだのは5年以上前でしたが、そのときと読後感は全く違ったものになりました。さらに5年後読み直してみて、自分がどういった印象を抱くのか、それを待つのも楽しみの一つとなりました。

(終わり)

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